

「春」
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桜の満開に合わせ、家族で花見をするのが恒例の行事。料理を持ち寄り、花を愛でるその時間は、何かしら幸せの輪郭を映し出しているような。
ハルがものごころをつけたときには、もうこの宴会の一員になっていた。
ハルのうちからは、ウインナーや玉子焼き、茹でたブロッコリーとにんじん、そして筑前煮が並ぶ。
いとこのなっちゃん家族は、いつも奇妙な組み合わせを持ってくる。
唐揚げと大福、ケーキといなりずし、たこ焼きとキムチ……
その多彩な料理が、あの日の記憶に一層の彩りを添えていた。
おばあちゃんは、毎年欠かさず大きなすし桶に華やかなちらし寿司をこしらえてくれた。
すし桶の蓋に添えられた、年季の入った温かな手。ハルがじっと手元を見つめているのに気づくと、
「ハルちゃん、見てごらん。ばあばの最高傑作だよ」
と変わらぬ笑顔で語りかける。
毎年、飽きることなく繰り返されるその一言に、家族の温もりと、少しの切なさが重なっていった。
爪が丁寧に切り揃えられ、
しわが刻む年月を物語る手が、
そろりそろりと蓋を開ける。





すし桶の中に、まるで花畑が広がるようなちらし寿司が顔を出した。
ふわふわとした細い錦糸たまごが、ご飯をそっと覆い、その上に、定番のえび、薄切りのれんこん、味がしみ込みくたくたになったしいたけが散りばめられている。
ハルは唐揚げやウインナーに目もくれず、もりもりとちらし寿司を頬張る。
苦手なグリンピースも、ちらし寿司ならば食べられる。
隅に添えられた紅しょうがの味は、大人になったらわかるのだろうか。
「ハルちゃん、たくさん食べてくれて、ばあばうれしいな」
髪についた桜の花びらをそっと取りながら、隣に座るおばあちゃんの、柔らかな笑み。
「おばあちゃんのちらしずし、とってもきれいでおいしくてだいすき!」
ハルは嬉しそうに声を上げる。

「そうね、また来年も、最高傑作を作らなきゃいけないわね。ハルちゃんのために」
おばあちゃんは、どこか遠い目をして、微笑んだ。
宴は、いつも笑顔と共に過ぎていく。



今、大人になったハルは、介護施設の静かな食堂に腰を下ろしていた。窓の外に広がる小さな庭には、春の陽射しが柔らかく降り注いでいる。
目の前には、小さくなったおばあちゃんが、介護食として運ばれてきたちらし寿司の入った小さな器を大事に握りしめながら、微笑んでいた。
そよ風に乗った桜の花びらが、ひとひら、またひとひらと部屋に舞い込む。
そして、あの日々の華やかな宴が静かに浮かび上がる。
遠い、けれど消えないあの日の味わい。
ちらし寿司の一口に込められた温もり。
おばあちゃんの手、家族の笑い声、そしてあの日々の幸せそのものが、今もなお、柔らかに胸を満たしていく。
「わすれないでね。
ハルのだいこうぶつ!」
あの日、自分の言葉にそっと微笑んだおばあちゃんの顔を、ハルは今でも、鮮明に思い出す。
「ハルちゃんも、忘れないでね。ばあばが、どれだけハルちゃんを大好きだったか」
その優しい声が、ひらひらと舞う桜の花びらと共に、春の風に溶けていく。
「おいしいよ」と。
おばあちゃんが小さなスプーンで食べているちらし寿司が、ひと口ひと口、いとおしい。
「思い出すね」と。
ハルはそっと目を閉じて、心の中で温かな笑顔が灯るのを感じていた。